あの聖地はどこ?!
東京都練馬区立の図書館で、同区のあゆみを扱った写真集をめくっているとよく見かけるのが昭和39年、東京オリンピックの聖火ランナーを写した1枚の写真。
中継所で聖火の到着を待つ数名の男性聖火ランナーの背後に、「歓迎聖火リレー 関町商……」の文字、そして「関東バス引返所」の看板。
私が注目したのは聖火ランナーではなく、「関東バス引返所」のほう。この引返所は一体どこなのか、気になっていました。
とはいっても、関町で関東バスの引返所、なので荻窪駅からの荻34系統や三鷹駅からの鷹01系統の終点、北裏のことだろ、と思い込み、実際そのつもりでいました。
そんな折、6月1日発行の練馬区報に当時の区報の復刻版が掲載(PDF注意)。昭和39年10月9日の11時14分から21分にかけて、オリンピックの聖火が練馬区内を通過するという記事と共に、「聖火 練馬区通過コース」として、詳細な地図が載せられていました。
その地図をみると、武蔵野市方面から来て青梅街道に突き当り、T字路になっているはずの北裏(の交差点)が十字路になっており、北裏ではない、と判断。
ならばどこかと考えたところ、地図に描かれた「関東バス引返点」が自転車屋と新聞販売所に挟まれていること、青梅街道までの距離が約30m、次の聖火の中継所まで約1.3kmという情報などから、現在の西武バス吉祥寺通り入口バス停前にある駐車場が同地ではないかと思い、49年前に思いを馳せるため、周辺を含め巡礼しに行ってきました。
ただし、ここに書いたことは裏をとっておらず、私の憶測でしかないことをご了承ください。
練馬区に入る前日、昭和39年10月8日に武蔵野市役所の市長室で一泊した聖火(→郵便屋さんらの手紙さん)は、翌9日の11時に武蔵野市役所を出発、11時7分に1.1km先の野田郵便局で中継して、11時14分に1.2km先の練馬区境の中継所で練馬区に突入。11時21分に1.2km先の件の関東バス引返所で中継して、11時29分1.3km先の杉並区にほど近い第一電工前の中継所を経由したのち、杉並区へと入った様子。
この武蔵野市役所は現在の市民文化会館・中央図書館付近にあったようで、野田(のでん)郵便局は現在の吉祥寺本町郵便局*1。第一電工(現在の住友電工ウインテック?)はボウリング場関町ロイヤルレーンズを経て、現在はホームセンターオリンピックになっている場所かと思います*2。
今でいうところの「市民文化会館前交差点(直進)→(五日市街道)→八幡宮前交差点(左折)→(吉祥寺通り)→関町交番前交差点(右折)→(青梅街道)→上井草四丁目交差点(直進)」かな?
- 練馬区境の中継所があったと思わしき場所。区報の地図では交差点の角に肉屋さんや質屋さんがあったようですが、現在はマンションに。
- 沿道の風景。地図に載ってた蕎麦屋さんは現存してるっぽい? 向かいに銭湯があったようですが、現在はマンション。
- 問題の(?)関東バス引返所の中継所があったと思わしき場所。大泉学園駅・上石神井駅方面西武バス吉祥寺通り入口バス停の前。画像の左に自転車屋さん、右の見切れた場所に数年前まで新聞販売所があり、地図の配置と同じことからここだと思われる。関東バスに以前「関」行きというのが存在したらしいので、その車の転回場場所か? gooの古地図でもバスは停まっておらず真偽不明。
- 練馬区内最後の中継所、第一電工前があったと思わしき場所。ボウリング場を経て、現在はホームセンターオリンピック関町店が建っています。偶然にもなんという運命的な名前!!! ちなみに余談ですが建物はボウリング場時代のを改装して流用しているらしい。
8月1日一部追記